2011年1月18日火曜日

高額な治療費と病院収入、そして抗がん剤批判

抗がん剤は実はがんにはまったく治療効果がないとか、医師が抗がん剤を勧めるのは製薬会社と一緒になって金儲けをするためだと主張している人たちがいます。だいたいこういう人たちは標準治療を否定して、エビデンスのない食事療法やサプリメントを勧める傾向にあります。また最近は抗がん剤の効果を否定するだけ否定して(しかもその根拠は専門家の目から見れば彼らにとって都合の良いデータだけを集めたもの)、がんで苦しむ患者さんになんの解決策も提示しない人までいます。

分子標的薬などの新薬が高額なのは、製薬会社にとってはその開発費用を回収しなければならないことと、次の新薬開発の原資にするためだと思います。新薬はいくつもの薬剤を基礎から長い間研究して、そのごく一部しか実際には販売までこぎつけることができません。販売に至らなかった薬剤の開発費用はどぶに捨てるようなものなんです。高額な薬価が、本当に適切なものなのかどうかは外部の私にはわかりませんが、単純に金儲けのために高額になっているわけではないのは確かです。

それでは一方の病院側は高額な薬剤を多数の患者さんに投与することで莫大な利益を得ているのでしょうか?

病院が純粋に薬剤で得る収益は、薬価から納入価を引いた値段です。正確にはこれに前投薬の費用や注射手技料、外来化学療法加算などが加わった保険点数のうちの自己負担分を患者さんは窓口で支払います。


例としてハーセプチンを調べてみました。

ハーセプチンの薬価は1バイアルあたり150mg製剤で56110円、60mg製剤で23992円です。再発で使用する場合の量は、初回4mg/kg、その後2mg/kgです。仮に体重50kgの人であれば、2回目以降は100mgずつ週1回投与となります。この場合、60mg製剤を2バイアル使用しますので薬価は23992×2=47984円(自己負担3割なら約14395円)となります。

一方の納入価は、販売元と病院の間の交渉で決まりますので、病院によって多少の違いはありますが、およそ1バイアルあたり150mg製剤で51000円、60mg製剤で22000円程度です。ですから上の例で言うと、納入価で約44000円かかりますから、病院にはわずかに4000円程度しか入らないことになります。

診察料や手技料などでその他の収益はありますが、医師の診察、薬剤師の調剤、そして2時間くらい看護師が経過観察をしなければならないことを考えると時間単価は決して高くはありません。むしろ検診や外来で数をこなす方が収益的には良いと思います。

さらにDPCという制度を採用している病院(大きな病院のほとんどはこのシステムです)の場合は入院病名で1日当たりの入院費が決められており、入院中にかかった手技や検査、薬剤費用のほとんどは保険請求することができません。ですから入院で抗がん剤を使用した場合には、分子標的薬などを除くと薬剤の費用を請求することができないのです。つまり高額な抗がん剤を使用すればするほど病院の持ち出しが増えてむしろ損をするということになります。

また抗がん剤を投与する場合には、通常の他の薬剤に比べるとリスクを伴いますので看護師も薬剤師も医師も非常に神経を使います。患者さんにとってだけではなく、私たち医療従事者にとっても抗がん剤というものは使わなくてすむものなら使いたくないものなのです。

以上のように、一部の人たちが主張するような、医師が金儲けのために抗がん剤を多用することは普通あり得ません。抗がん剤のメリットもその怖さも知らない人たちが、抗がん剤のもつ有害な面とその価格だけをみて、一方的に抗がん剤や抗がん剤を使用する医師を批判することに私は疑問を感じています。

10 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

抗癌剤の治療を受けた乳がん患者です。
(以前にもコメントしました)
抗癌剤は高価なのこと理解しています。
また、製薬会社はジェネリックにより新規開発費用が抑えれると言う話も別のところで聞いたことあります。
抗癌剤は患者にとってリスクありますが、取り扱う医師・看護師・薬剤師さんにもリスクがあること治療後に気がつきました。
治療を受けられたことに感謝・病院全体に感謝しています。
このような発言今後もお願いします。

hidechin さんのコメント...

>匿名さん
どうも”抗がん剤=悪”→”抗がん剤を勧める医師=悪”のような印象を植え付けようとしている人たちがいるようです…。
匿名さんのように、がん患者さんと一緒に闘おうとしている私たち医療従事者の思いを理解していただける方が増えることを望んでいます。

匿名 さんのコメント...

私も最近の数々のメディア情報に驚いています。どう考えてもメディアの販売促進運動としか思えません。
これらの報道で、どれだけの患者さんが不安を感じることか。 あまりにも無責任な発言で怒りを覚えます。 私自身は標準治療をうけずにFUSで治療した者ですが、まわりの友人たちの多くは抗がん剤でQOLを保っています。
最近では埼玉医大の佐々木先生も怒りのコメントを講演会でなさっていました。患者は冷静に判断していただきたいと思います。
これからも色々発信していってくださいね。

hidechin さんのコメント...

>匿名さん
ありがとうございます。
不安を感じている患者さん、多いでしょうね…。不安をあおるだけあおってそのあとどうすべきだと考えているんでしょうね…。
これからも公平な立場でのコメントを書いていきたいと思っていますのでよろしくお願いします。

匿名 さんのコメント...

オーストラリアのお医者さんが興味深い発表をしています。
The Contribution of Cytotoxic Chemotherapy to 5-year Survival in Adult Malignanciesについてはどのようにお考えですか。

hidechin さんのコメント...

>匿名さん
はじめまして。2004年の論文のようですね。abstractのみ取り急ぎ見てみました。
細胞障害性抗がん剤の生存率への貢献はわずか(オーストラリア2.3%、米国2.1%)であり、費用対効果の上では問題があると提起している内容のようですね。
詳細には読んでいませんが、問題点が二つあります。
まず第1に、22種類もの悪性疾患をまとめてしまっていることです。この中には、抗がん剤が有効と考えられているものだけではなく、あまり効果的ではないと思われているものも含まれているため、全体で上乗せ効かがわずかだから全ての悪性疾患に対して意味がないと主張することには疑問を感じます(全文を読むと細かく検証してあるのかもしれませんが)。
第2に、費用を考慮から外した時に、2%台の生存率の上乗せ効果は意味がないのか?ということです。5年生存率が60%から62%になったとして、例えば10000人の患者さんがいた場合、抗がん剤をしたことによって、200人が救われるのです。これは治療関連死亡も含めた数値と思われますので純粋にこれだけの数の人が多く助かるのです。これを意味がないとは私は思いません(ただし、この差が有意な場合)。人の命をお金で評価するのは、学問的(医療経済的)には理解できますが、一人の医師としては納得できないものを感じます。

匿名 さんのコメント...

お忙しいなか回答ありがとうございます。
正直これほど早く書き込んでいただけるとは思っていませんでした。

>まず第1に、22種類もの悪性疾患をまとめてしまっていることです。
論文中に出てくる大きな表を見ていただくとわかりますが、乳がんに限るとこの数字は2.3%や2.1%よりさらに小さくなります。

>2%台の生存率の上乗せ効果は意味がないのか?
どのような上乗せも費用を無視すれば、患者にとっては意味があります。この論文が提起するのは、この程度の上乗せ効果しかないものが3大治療の一角を成していることに対する疑問です。10000人の患者さんがいた場合、抗がん剤なら200人しか救えないかもしれませんが、数百人救うような治療法が探せばあるかもしれないのです。そのような研究にこそお金を使うべきではという指摘です。

hidechin さんのコメント...

>匿名さん
抗がん剤以上に効果があると無作為比較試験で証明されている治療があるのでしたら喜んで使いたいと多くの乳腺外科医は思っています。もし匿名さんがご存知でしたら教えて下さい。
なお、1編の論文に書いてあることが全てではありません。匿名さんには「乳癌診療ガイドライン1 薬物療法 2007年版、2010年版」をお読みになることをお勧めします。この中には数多くの論文の中から導き出された治療方針が書いてあります。
例を挙げると、2005年にLancetに発表されたEBCTCGの14000人を対象にしたメタアナリシスの報告によると、アンスラサイクリンを含む多剤併用化学療法(ACやFECなど)は、年間乳癌死亡率を50才未満の女性で38%、50-59才の女性で20%減少させるとされています。その他の多くの臨床試験も術後補助化学療法が無治療に比べて予後を改善することを報告しています。
ですから匿名さんが取り上げた論文は世界的に見て数々の臨床試験に裏付けられた標準的な考え方とは少し異なった結果と考え方のように感じます。どちらが正しいとは言いませんが、一つの論文のみで、抗がん剤は効果が低いので3大治療の一つとは言えないと判断することに対しては疑問を感じます。
なお、誤解を受けないように再度強調しますが、私たちは好んで抗がん剤を投与しているわけではありません。ましてやお金儲けのためなどとは考えたこともありません。安全性を重視しながら、少しでも乳がん患者さんの再発率、死亡率を下げたいと考えてやむを得ず抗がん剤を投与しているのです。もっと副作用が少なく、効果的に治療があるのでしたら喜んで患者さんに行ないたいと思っているのです。もしかしたら、匿名さんがおっしゃる、「探せばあるかもしれない抗がん剤より効果的な治療」というのが、例えば食餌療法やサプリメントなどの民間療法のことをおっしゃっているのでしたら、それは正しくありません。十分なエビデンスがないからです。しかし、もし抗がん剤より効果的であることを無作為比較試験で証明したら私は喜んで使わせていただきます。
これで匿名さんの問いかけに対する答えになっていたでしょうか?なお、これ以上、ここで細かい抗がん剤の功罪についての議論はきりがないので差し控えさせていただきます。

匿名 さんのコメント...

私も書き込みはこれきりにされていただきます。
この書き込み自体も読み終わりましたら削除いただいてかまいません。
ただ一つだけお願いがあります。

>ですから匿名さんが取り上げた論文は世界的に見て数々の臨床試験に裏付けられた標準的な考え方とは少し異なった結果と考え方のように感じます。

このような発言はこの論文に対して失礼です。削除を検討いただけませんか。

この論文がさまざまな論文の成果をまとめただけのものである(=少数の医者が主張しているものではなく、その背景に多くの医者の論文がエビデンスとして存在する)ことはMethodsから明らかです。Referenceからもそれが見てとれます。

そもそもこの論文は別の論文をフォローアップする形でかかれたものです。(以下Introductionより引用)
In 1986, Kearsley [6] estimated that the contribution of
chemotherapy to overall survival in the USA was 4.3%.

このようなことを鑑みれば、「標準的な考え方とは少し異なった結果と考え方」という発言はありえないのではないでしょうか。(もちろんその主張にエビデンスがあれば別でしょうが)

ご自分の論文がこのような批判を受けたらどのように感じるか考えた上で削除をご検討いただければ幸いです。

尚、absolute risk reductionとrelative risk reductionが見た目は大きく違う数字に見えることは医療従事者でも気をつけなくてはいけません。100人中1人救う治療に比べれば1.5人救える治療は50%余計に効果があるといえますが、それは100人中0.5人余計に救えると言っても同じことです。どちらで表現したほうが患者にインパクトがあるかは、そして誤解を与えるかは明らかですね。ご存知だとは思いますが。

hidechin さんのコメント...

>匿名さん
”>ですから匿名さんが取り上げた論文は世界的に見て数々の臨床試験に裏付けられた標準的な考え方とは少し異なった結果と考え方のように感じます。

このような発言はこの論文に対して失礼です。削除を検討いただけませんか。”

→誤解しないでいただきたいのですが、私はこの論文を否定していませんし、批判もしていないつもりです。
ただ、私に限らず世界中の乳腺外科医が日常参考にしているガイドライン(乳癌学会、NCCN、St.Gallenなど)において、エビデンスに基づいて適応を適切に判断した上で抗がん剤の使用を推奨しているという現状とは違う意見であるという事実を述べただけです。
それまで常識とされていたことが、新たな論文によってくつがえされることは今までもあったことであり、この著者はそのような常識に一石を投じる気持ちもあって書かれたのではないかと思います。ですから、匿名さんがおっしゃるような、著者に失礼であるという論調は当てはまらないと思います。また、学会発表や論文に対して批判的評価をしたり、反論したりすることは学会においては健全なことであり、むしろPublishされた論文には意見や感想を述べてはいけないというほうが不自然に感じます。いろいろな方面からの研究や意見を総合的に解釈して方針を出す、それがガイドラインなのだと私は信じています。ただ、ガイドラインは年々変更されてしかるべきものだと思いますし、それまでの方法が間違いであることに気づくこともあるでしょう。それはそのときに修正する必要があります。ですから、これらのガイドラインは定期的に更新されているわけです。
匿名さんが紹介してくださった論文は2004年に発表されています。しかしたとえばSt.Gallenの国際会議は2005年、2007年、2009年、2011年と行われていますが、今のところ抗がん剤を使用すべきではないという結論にはなっていません。今は抗がん剤は善か悪かということではなく、どのようなタイプの乳がんには抗がん剤が有効または無効であるのか、を考える流れになってきているのです。All or Nothingではなく、いかに適切に抗がん剤を使用するべきか、ということです。

この論文に関する私自身の評価や疑問の提示はこれ以上ここでするつもりはありません。抗がん剤の有用性に関する研究は無数にありますので、そのような蓄積を総合的に評価したガイドラインを基準にして私たちは治療を考えるしかありませんし、そうするべきであると思っています。抗がん剤が有害無益であるかどうかはいずれ歴史が判断してくれると思います。

なお、匿名さんが書かれた”absolute risk reductionとrelative risk reduction”についてはもちろん存じています。前回のコメントで挙げた例は、乳癌診療ガイドラインからそのまま引用しただけですのでインパクトを求めて書いたわけではありません。匿名さんもガイドラインをごらんになればおわかりになると思います。

削除はせず、これで討論を終わりにさせていただきます。