2011年4月24日日曜日

キャンディーズと田中好子さん(スーちゃん)…

昨日の朝、日本中を驚きと悲しみが包みました。まさかあの田中好子さん(スーちゃん)も乳がんで闘病中だったとは…まったく知りませんでした。とても悲しい知らせにショックを受けられた方も多かったのではないかと思います。私もその一人です。

私はキャンディーズの大ファンでした。ちょうど小学校高学年から中学生にかけて、彼女たちは国民的なアイドルでした。「見ごろ食べごろ笑いごろ」はいつも見ていましたし、レコードも何枚も持っていました(どこに行ってしまったのか不明ですが…)。解散発表後に発売したベスト盤「CANDIES 1676 DAYS」も買いました。

この頃はピンクレディ全盛期でもあり、特に子供たちには大人気でした。キャンディーズはもう少し年齢の高い若者たちに愛されていたように思います。私の小学校でもやはりピンクレディ人気がすごかったのを覚えています。他の子供たちがピンクレディーのものまねをして歌っている中で、私だけが友達にも内緒でキャンディーズの隠れファンをしていたのです。

正直、あの頃の私のファン度は、ランちゃん>ミキちゃん>スーちゃんでした(汗)。それでもスーちゃんの誰からも好かれる人柄の良さ、かわいらしさ、元気さはTVから十分に伝わってきていました。解散後の芸能界では3人の中で一番と言っていいほど活躍が目立っていましたし、誰からも愛される女優さんになっていきました。その演技力はとても評価が高かったと聞きます。彼女にとってはキャンディーズとしての仕事よりも女優としての仕事のほうが天職だったのかもしれません。

報道によると乳がんを発症したのは結婚した翌年、36才頃のようです。子供さんがいらっしゃらなかったのはこの病気と治療の影響だったのかもしれません。その後対側にも乳がんができ(異時両側乳がんだと思われます)、19年もの長い間、マスコミに話すことなく闘病してきたそうです。女優業という大変な仕事をしながらも、まったく病気のことを感じさせなかった芯の強さ…。本当に素晴らしい女性だと思います。

闘病生活を告白してファンから元気をもらったり、逆に同じ病気の人たちに勇気を与えている芸能人は最近多く見かけます。でもスーちゃんは多くの関係者やファンには病気のことを教えずに一人で闘いながら仕事を全うし、最後の別れだけはみんなに送って欲しいと遺言していたと報道されています。スーちゃんの人柄がなんとなくうかがえるような気がしました。きっとみんなには心配をかけたくない、でも闘い終わったらみんなに最後の別れだけはしたい、という心遣いだったのではないでしょうか。

キャンディーズは一度も再結成しませんでした。今となっては再結成は永遠にできなくなりました。でもこれでいいのかもしれません。私の中ではキャンディーズはずっとあの時のままです。

スーちゃん、長い間の闘病生活、本当にお疲れさまでした。心よりご冥福をお祈りいたします。

6 件のコメント:

ミチ さんのコメント...

こんにちは。
hidechin先生もキャンディーズのファンだったんですね。
私もキャンディーズが大好きで、テレビのスピーカーから録音した、状態の悪い音をバックに友達と3人でよくキャンディーズの歌を歌っていました。
中でも私はスーちゃんのファンだったので、いつもスーちゃん役でした。
(hidechin先生も「小学校高学年から中学校ぐらい」と書いていらっしゃるので、多分同じ年代ですネ。)
なので、突然のスーちゃんの訃報には、本当に驚きと共に悲しみでいっぱいです。
しかも、私と同じ病気だったなんて、、、。
ニュースを見るたびに、涙がこぼれてしまいます。
それは、スーちゃんが亡くなったという悲しみはもちろんですが、どうしても自分と重ね合わせてしまい、落ち込んでしまうのです。
彼女は36歳の時に発症して20年近く闘病を続けていたそうですが、私の場合は治療を初めてまだ1年ですが、55歳という年齢はもう目の前なので、本当に人ごととは思えず、いつそれが自分に置き換わってもおかしくない事なのです。
芸能人の方で、乳癌を患っても元気に回復された方の話など、大変力になり勇気づけられますが、
今回のような悲しい結果は、特に私のようながん患者には、しばらく立ち直れないほど悲しみが大きいです。

田中好子さんの亡くなられた原因が「乳癌」だということで、もしかして先生のブログに何か書いていらっしゃるかな?と思って開いてみましたら、先生もキャンディーズファンだったと知り、何だか嬉しくなり、またいっそう親近感が湧きました。どうもありがとうございました。

hidechin さんのコメント...

>ミチさん
きっと同じように感じている乳がん患者さんは多いと思いますよ。私もこのブログにスーちゃんのことを書くべきかどうか迷いましたが(同じ病気でショックを受けている方が多いと思いますので…)、一日遅れで書いた理由は、スーちゃんの生き様に感動したからです。残念ながら悲しい結果にはなってしまいましたが、それを悲しむだけではなくて、スーちゃんが長い間この病気と闘いながらも素晴らしい生き方をしてきたということをショックを受けている皆さんに考えて欲しかったからなんです。
55才というのは本当に早すぎると思います。でも人間の命というのはいつか必ず終わりが来ます。病気や命の終わりにおびえて生きるだけではいけないということをスーちゃんは教えてくれたような気がするのです。

ミチ さんのコメント...

hidechin先生
いいえ、先生がスーちゃんのことをブログに書いてくださったこと、嬉しかったんです。
先生の記事を読んでショックを受けた、などと言いたかったのでは全然ありません。
全くその逆で、先生がスーちゃんのファンで、同じ様に悲しみを感じてくださっているということが、私の様な同じ乳癌患者にとって、救いになったということを言いたかったのです。
なんだか誤解を招く様な書き方になってしまって申し訳ありませんでした。
いつも先生のブログには助けられ、支えられています。これからもどうぞよろしくお願いいたします。

hidechin さんのコメント...

>ミチさん
ミチさんのコメントに対してそう感じたわけではありませんよ。私の書き方も誤解させてしまったならすみません。
ただ、スーちゃんの訃報でショックを受けていらっしゃる方が多いのではないかと思ったので書いたんです。
こちらこそこれからもよろしくお願いいたします。

yosi さんのコメント...

こんにちは、
わたしはあえて順序を付けるなら
ミキちゃん>ランちゃん>スーちゃんでした。
で、正直、スーちゃんの乳癌での死亡の件はショックのほうが大きいです。
自分のブログにも書きましたが、最後の肉声を残すのなら、どのような状況でそうなってしまったのか公開して欲しいと思っています。
乳癌の手術で入院中のとき知り合った友人が3月に亡くなり、子どもがいないのでご主人がひとり残されました。
そのご主人はマスコミを通じて他の人たちに一緒に悲しみを分かち合ってもらうことはできません。一般人だから
スーちゃんのご主人は彼女の病気のことをテレビを通じて、聞きたい人にも聞きたくない人にも話してしまったのだから、最後まで話してほしい。
そんな思いです。
私のブログには、「田中好子 乳癌 抗癌剤 病状 治療方法」といった検索キーワードで、彼女の死後数日間、今までのアクセス数を上回るアクセスがありました。
不安に思いながら知りたいと思っている人たちがたくさんおられるのだと思います。
私も不安です。
彼女が亡くなったのはなぜだろうと思い続けています。

hidechin さんのコメント...

>yosiさん
最初の診断から19年、どのような経過だったのかは私もわかりません。伝わってきた情報によると異時両側乳がんだったようですので、2回目の乳がんが命取りになったのかもしれませんし、最初のがんが長い経過で再発を繰り返したのかもしれません。ご遺族がその詳細を語る気持ちになればいずれわかることだと思いますが、私自身はあえて語らなくても良いのではないかと思います。

なぜかと言うと一般論として早期発見は大切ですが、スーちゃんのあの言葉は早期発見を訴えていたわけではないからです。そのことで後悔していることを言いたかったわけでもないと思います。あの録音をご主人が公開したのは、スーちゃんが、今までお世話になった人たちすべてに感謝の言葉を残したい、と話していたからのようです。スーちゃんがそう言っていたのを聞いたご主人が、あの録音を提案したと聞いています。

乳がんはどんなに早期発見でも悪性度が高ければ再発することはありますし、進行して見つかっても治癒したり、長い経過をたどることもあります。ただ、私たちが今できることは、早期発見を啓蒙していくことしかありません。スーちゃんの乳がんとの闘病は、その経過や結果がどうであったかということより、乳がんという病気に日本人はまだまだ無関心な人が多いということに対しての警鐘になるのではないか、と私自身は考えています。でもこれは私の考えであって、スーちゃんはそのことを訴えたかったわけではありません。ですから闘病の詳細をあえてあの場でご主人が明かさなくてもよかったのではないかと私は思うのです。