2011年5月16日月曜日

福島原発に対する対応を見て感じたこと

福島第1原発の状況が気になってなかなかブログの更新ができませんでした。

この間の東京電力と原子力安全保安院、政府の対応を見ていて、医療現場での病状説明と重なってしまいました。

私たちが病状や手術のご説明をするときには、いろいろなことを想定してお話しします。望ましい結果になることを期待して検査なり治療なりを考えるのですが、人間の体はそう簡単ではありませんので、いつもその通りになるわけではありません。私たちは神様ではありませんのでベストを尽くしても残念な結果になってしまうこともあります。

ですから、例えば手術のご説明をする際には、可能性が低くても起こりうる合併症のお話をします。手術の内容によっては、手術で命を落とす確率についても言及しなければならない場合もあります。乳がんの手術の場合、手術自体で命を落とすことはまずありません。私の20年以上の経験でも術死(術後30日以内の死亡)は1例もありません。しかし、例えば高齢者の場合は術後に心筋梗塞や脳梗塞などの偶発症で命を落とす可能性は0%ではありませんので、このようなことが起きうるということについてはお話しします。もちろん、そういうことが起きないように最善の努力をしますということは合わせてお話しします。

このような一見”想定外”と思えることまでご説明することが、かえって患者さんを不安にさせたり治療に自信がないと思われるのではないかと思うことはあります。しかし、わずかの可能性でも隠さずにお話しすることで、そういうことまで考えながら手術や術後管理をしているんだと思っていただくことのほうが重要だと私は考えています。これは決して万が一のことが起きた時の言い訳のためではありません。万が一のことが実際に起きてしまった場合、それを説明していたら完全に責任を逃れられるわけではないからです。むしろ、このようなことをご説明することによって、自分自身の油断に対する戒めになるとも考えています。

そういう観点から福島原発に関するこの2ヶ月間の彼らの説明を聞いていると、あまりにも楽観的なものの見方だったように思えます。本当に楽観的に見ていたとしたら、専門家なのに素人の国民より想像力がなさ過ぎだと思いますし、真実を知っていたのに隠そうとしていたとしたら、国民を馬鹿にした許せない行為です。

まるで重い合併症も持っている高齢者の困難な心臓の手術で、
”この手術は安全なので心配ありません”
とお話ししているような説明の仕方だったのではないかと思います。そして問題が起きるたびに、
”ちょっと出血していますが命に別状はありません”
”バイパスした血管が詰まってしまいましたがもともとの血管が詰まっていたので心不全を起こすようなことはありません”
”清潔な手術だったので縦隔炎は起きていないはずです”
などと後手後手の誤った説明を繰り返していたような状況でないでしょうか。

考えられる最悪の状況を説明しておけば全てが許されるわけではありません。しかし、気持ち的にはそういう状況に備えることができますし、信頼関係を保つことができます。様々な可能性について真摯に説明しておかなければ、不測の事態が起きた時に、前もって予想して対応していなかったのではないか?という疑問がわき、その後の信頼関係を保つことができなくなります。あまり悪いことばかり言うと不安を煽るという考え方もあるかもしれませんが、きちんと真実を説明されていないと思う方がよっぽど不安になるものです。

彼らの対応を反面教師にして、私自身もこれからさらに患者さんに対する丁寧なご説明を心がけなければならないと思った次第です。

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