2011年11月28日月曜日

第20回日本乳癌学会学術総会演題締め切り近づく!

2012.6.28-30に熊本で開かれる第20回日本乳癌学会の演題締め切りが12/13に迫ってきました。

今回のテーマはかなり早い時点(9月の乳癌学会が終わったころから)で決めていました。このテーマを追究するためには、特殊な免疫染色を多数の症例に行なわなければならないため病理のDrと技師さんたちにかなりの負担を強いてしまいます。また、それに要する費用もけっこうな額になってしまうことが判明しました。

私の病院には自前の病理医がいます。外注するわけではないので、けっこう大変な作業にも積極的に協力してくれます。今回も私が考えていた研究テーマに賛同してくれて快く協力してくれることになりました。大変ありがたいことです。演題が採用されたらお土産は奮発しなきゃならないと今から考えています(笑)。ただ残念なことに乳癌学会に入会している病理医がいないので抄録の共同演者に名前を乗せることができません。病理医は乳腺だけ見ているわけではありませんし、様々な病理関係の学会に参加しているので年会費だけでも結構な負担になるからです。このあたりは公費で負担してもらうように病院にかけあってみようかと思っています。

さて今回は、「乳がんの早期発見は意味があるのか?」というテーマに対して、生物学的悪性度の観点から分析してみようという内容です。乳がんの早期発見は意味があるに決まっているのではないかと思う人も多いと思います。もちろん私もそう思いますし、乳腺外科医のほとんどはそう信じています。しかし、いまだにその考えに対して否定的な見解を主張し続けている医師たちも存在します。また、マンモグラフィの有効性について肯定的なものだけではなく、否定的な研究報告が存在するのも事実です(これには様々な理由があると思いますがここでは割愛します)。

この命題に対して結論を下すのは、一部の偏ったデータや感情論、経験論ではなく、十分な科学的根拠に基づいた検証しかありません。残念ながら今回の私の研究は、そんな大それた内容ではありません。症例数も不十分です。しかしこのデータから導き出した推論がその解決の小さな一歩になればと願いつつ、病理のDrたちにも協力してもらいながらさらに研究を続けていこうと思っています。

4 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

はじめまして。
いつもブログで勉強させていただいております。
今年の7月に非浸潤性乳管がんで乳房全摘術を受けました。私は医師ではありませんが、以前に検診にかかわるような仕事をしていました。
私の乳がん発見のきっかけは検診ですが、経過観察と言われたのが5年前、要精密と言われたのが1年前で、病院で1年間の経過観察後ようやくがんと診断されました。診断までに時間がかかったことに対しては、私のがんの特徴でもあり、誤診だとか先生を責める気持ちはありません。詳しくは述べませんが、手術までの過程でいろいろなことがあり、検診が本当に必要なのか、皆さんに検診受診を勧めてよかったのかが疑問になり、自分自身落ち込んでいます。たくさんの本も読みました。もちろん近藤先生の主張も読みましたが、それ以外の先生でも似たような意見を述べていらっしゃる先生がいるのですね。今回の先生の研究について、私などは理解できないかもしれませんが、一人のがん患者として、また、検診に携わる者としてとても期待しております。

hidechin さんのコメント...

>匿名さん
はじめまして。ありがとうございます。
5年間の経過があったとのことできっといろいろ考えられたのだとご推察します。結果的には5年経っても非浸潤がんだったわけですから私は良かったと思いますが、きっと匿名さんは「5年前なら全摘せずに済んだのではないか?」と思われたことと思います。たしかにその通りかもしれませんが、5年前でも広がりは今と同じで全摘が必要だったかもしれません(そのような進行が極端に遅いがんを近藤先生は”がんもどき”と表現していますが証明はできません)。逆に検診を受けなければフォローもされずに浸潤がんとして数年後に発見されたかもしれません(”がんもどき”でなければですが)。それは誰にもわかりませんし、何が不幸で何が幸いだったかは証明することはできません。もちろん、そのがんが”がんもどき”かどうかを証明できない以上、検診が不要だと断じることはできません。とても難しい問題だと思います。
おそらく実際は①”がんもどき”に近いような非常に進行の遅いがん(一生放っておいても命にかかわらないがん)もありますし、②検診では救命できないような悪性度の高いがん(早期発見が無意味ながん)もありますし、③その中間のがん(検診が有効であるがん)もあるのだと考えています。近藤先生は①と②がほとんどで③はきわめてまれであるような表現をされていますが、私自身はむしろ③が多くを占めていると考えています。このあたりを証明する手がかりを得るのが今回の研究課題なのです。微力ではありますが、頑張ってみたいと思います。

匿名 さんのコメント...

こんばんは。
コメントありがとうございました。
自分は浸潤しておらず、運が良かったと思います。フォローしていたものとは別の所見が出て、検査を進め、2か所ともがんでした。5年前に手術を受けていたら、今回は再発ということで怖い思いをしたと思うと、一回の手術で終了してよかったと思います。今の医療の最善の診断を受け、治療を受けたと思っています。

ただし、途中で医師から「一回は針を刺して検査したほうがいいかもね」と言われた時に検査をお願いしなかったことを後悔し、自分を責めていました。今は、患者としてできることはしたと思えるようになりました。
このように冷静に受け止めらるのは、主治医(転院したので診断した先生とは違います)が私の気持ちを受け止めつつ、とても正直に、丁寧に説明をしてくださり、あなたの責任ではないよとおっしゃってくださったおかげです。また、私が、検診の判断の仕方や限界などについて理解していたからだと思います。

しかし、入院中に検診で見落とされたという患者さんから激しい怒りをぶつけれら、検診を勧めていた私は自分が責められていると感じ、大ショックでした。私も検診からスムーズではなかった人間として、その怒りはとても理解できるのです。
また、診断をした先生に本当に早期かが心配になり確認したところ、先生を責めていると受け取られたのか開き直ったようなことを言われてしまいました。また、それまでは手術をすると言われていたのに、別の病院に紹介すると言われ(内科疾患があることも関係しています)嫌な思いをしました。そのため、感情的に検診を受けたことが良いことだと思えなくなっている部分があります。
こんなつらい結果を招くこともある検診を簡単に勧めてよかったのかが分からなくなってしまい、たくさんの本やインターネットでいろいろな方の意見を勉強しました。

先生のおっしゃる①②③については、そうだなと思います。ですから、今は自分で結果まで引き受ける覚悟があればどの意見を信じ行動しても批判されることではないのかなと思います。
私はこんな体験をしながらも先生の考え方に賛成しています。これから検診を勧めるときに、デメリットも伝えて正しく理解して受けてほしいし、自信をもって検診を勧めたいと思うのです。
ただし、医療技術の限界を補えるのは人間ということも肝に銘じておきたいと思います。今回、どれほど主治医、看護師さんに力づけていただいたかわかりません。そして、このようにインターネットで情報発信を続けていらっしゃることにも感謝します。

hidechin さんのコメント...

>匿名さん
いろいろと辛い体験をされたのですね。でも今は前向きに冷静にお考えになっているようで本当に良かったです。
検診の有効性についての真実がどうであるかはあえて断定しませんが、「検診をきちんと受けていて実際は検診は無効だった時に受けるリスク」と、「検診は有効なのに検診を受けなかったことによって生じるリスク」を比較した時に後者の方がはるかに大きいと私は考えています。ですから明らかに検診が無効であるというコンセンサスが得られるまでは医療者としては検診をお勧めして行くことになると思います。
私は匿名さんがきちんと検診後のフォローを受けていたこと、手術に同意して治療を受けたこと、結果が非浸潤がんだったことを心から良かったと思っています。これからの人生が希望に満ちたものになることをお祈りしています。